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源氏物語 初音

源氏物語 初音 紫式部

このページはクリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0に従い、ウィキソースの蔵書『源氏物語 國分大觀 上』からのコピーを含みます。

 

初音

年立ちかへるあしたの空の氣色名殘なく曇らぬうらゝかげさには、數ならぬ垣根の內だに雪間の草若やかに色づきそめ、いつしかと氣色だつ霞に木のめもうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。ましていとゞ玉を敷けるおまへは庭より始め見所おほく、みがきまし給へる御かたがたの有樣、まねびたてむも言の葉たるまじくなむ。春のおとゞのおまへ取り分きて梅の香も御簾の內のにほひに吹きまがひて生ける佛の御國とおぼゆ。さすがに打ち解けてやすらかに住みなし給へり。侍ふ人々も若やかにすぐれたるを姬君の御方にとえらせ給ひて、少しおとなびたるかぎりなかなかよしよしゝくさう束有樣よりはじめてめやすくもてつけて、此處彼處にむれ居つゝはがためのいはひして、もちひ鏡をさへ取りよせて千年のかげにしるき年の內の祝事どもしてそぼれあへるに、おとゞの君さしのぞき給へればふところでひきなほしつゝ、「いとはしたなきわざかな」とわびあへり。「いとしたゝかなるみづからの祝事どもかな。皆各々思ふことの道々あらむかし。少し聞かせよや。われことぶきせむ」とうち笑ひ給へる御有樣を年のはじめのさかえに見奉る。われはと思ひあがれる中將の君ぞ「かねてぞ見ゆるなどこそ鏡の影にも語らひ侍りつれ。私のいのりは何ばかりのことをか」など聞ゆる。あしたのほどは人々參りこみて物騷がしかりけるを、夕つ方御かたがたの參座し給はむとて心ことに引きつくろひけさうじ給ふ御蔭こそげに見るかひあめれ。「今朝この人々の戯ぶれかはしつるいと羨ましう見えつるを、うへにはわれ見せ奉らむ」とて亂れたる事ども少しうちまぜつゝ祝ひ聞えたまふ。

 「うす氷とけぬる池のかゞみには世にたぐひなきかげぞならべる」。げにめでたき御あはひどもなり。

 「くもりなき池の鏡によろづ代をすむべきかげぞしるく見えける」。何事につけても末遠き御契をあらまほしく聞えかはし給ふ。今日は子の日なりけり。げに千年の春をかけて祝はむにことわりなる日なり。姬君の御方に渡り給へれば、わらはしもづかへなどおまへの山の小松ひき遊ぶ。若き人々の心地ども置き所なく見ゆ。北のおとゞより、わざとがましくし集めたるひげこどもひわりごなど奉れ給へり。えならぬ五葉の枝にうつれる鶯も思ふ心あらむかし。

 「年月を松にひかれてふる人にけふうぐひすの初音きかせよ。音せぬさとの」と聞え給へるを、げにあはれとおぼし知る。こといみもえし給はぬ氣色なり。「この御かへりはみづから聞えたまへ。初音惜み給ふべき方にもあらずかし」とて御硯取りまかなひ書かせ奉らせたまふ。いとうつくしげにて明暮見奉る人だに飽かず思ひ聞ゆる御有樣を、今まで覺束なき年月のへだゝりけるも罪えがましく心苦しとおぼす。

 「ひきわかれ年はふれども鶯のすだちしまつのねをわすれめや」。幼き御心にまかせてくだくだしくぞあめる。夏の御すまひを見給へば、時ならぬけにやいとしづかに見えてわざと好ましきこともなく、あてやかに住みなし給へるけはひ見えわたる。年月に添へて御心のへだてもなく、あはれなる御なからひなり。今はあながちに近やかなる御有樣ももてなし聞え給はざりけり。いと睦しくありがたからむいもせの契ばかり聞えかはし給ふ。御几帳隔てたれど少し押し遣り給へばまたさておはす。はなはだげににほひ多からぬあはひにて、御ぐしなどもいたく盛過ぎにけり。やさしき方にあらねどえびかづらしてぞつくろひ給ふべき、われならざらむ人はみざねしぬべき御有樣をかくて見るこそ嬉しくほいあれ、かろき人のつらにて我にそむき給ひなましかばなど、御對面の折々にはまづ我が御心のながさも人の御心の重きをも嬉しく思ふやうなりとおぼしけり。こまやかにふる年の御物語などなつかしく聞え給ひて西の對へ渡り給ふ。まだいたくも住み馴れ給はぬ程よりはけはひをかしくしなして、をかしげなるわらはべの姿なまめかしく、人かげのあまたして御しつらひあるべき限なれども、こまやかなる御調度はいとしも整へ給はぬをさる方に物淸げに住みなし給へる。さうじみもあなをかしげとふと見えて、山吹にもてはやし給へる御かたちなどいと花やかにこゝに曇れると見ゆる所なく、隈なくにほひきらきらしく見まほしきさまぞし給へる。物思ひに沈み給へる程のしわざにや、髮の裾少しほそりてさばらかにかゝれるしもいともの淸げに、出處彼處いとけざやかなるさまし給へるを、かくて見ざらましかばとおもほすにつけてはえしも見すぐし給ふまじくや。かくいと隔なく見奉りなれ給へど、なほおもふにへだゝり多く怪しきがうつゝの心地もし給はねば、まほならずもてなし給へるもいとをかし。「年頃になりぬる心地して見奉るも心安くほいかなひぬるをつゝみなくもてなし給ひて、あなたなどにも渡り給へかし。いはけなきうひ琴ならふ人もあめるを諸共に聞きならし給へ。後めたくあはつけき心もたる人なき所なり」と聞え給へば、「のたまはむまゝにこそは」と聞え給ふ。さもあることぞかし。暮方になる程に明石の御方に渡り給ふ。近き渡殿の戶押しあくるより御簾の內の追風なまめかしく吹き匂はして、物より殊にけだかくおぼさる。さうじみは見えず。いづらと見まはし給ふに、硯のあたり賑はゝしく草子ども取り散らしたるを取りつゝ見給ふ。唐のとうぎやうきのことごとしきはしさしたるしとねにをかしげなるきんうちおき、わざとめきよしある火桶に侍從をくゆらかして物ごとにしめたるに、えびかうのかのまがへるいとえんなり。手習どもの亂れうち解けたるもすぢかはりゆゑある書きざまなり。ことごとしくさうがちなどにもざえがらずめやすく書きすさびたり。小松の御返しをめづらしと見けるまゝに、あはれなるふることゞも書きまぜて、

 「めづらしや花のねぐらに木づたひてたにのふる巢をとへる鶯。聲待ち出でたる」などもあり。「咲けるをかべに家しあれば」などひき返し慰めたるすぢなどかきまぜつゝあるを、取りて見給ひつゝほゝゑみ給へる、恥しげなり。筆さしぬらして書きすさみ給ふ程にゐざり出でゝ、さすがにみづからのもてなしはかしこまりおきてめやすき用意なるを、猶人よりは殊なりとおぼす。白きにけざやかな髮のかゝりの少しさばらかなる程に薄らぎにけるもいとゞなまめかしさ添ひてなつかしければ、新しき年の御さわがれもやとつゝましけれどこなたにとまり給ひぬ。猶おぼえことなりかしと、かたがたに心おきておぼす。南のおとゞにはましてめざましがる人々あり。まだ曙の程に渡り給ひぬ。かうしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、名殘もたゞならずあはれに思ふ。待ちとり給へるはたなまけやけしとおぼすべかめる心の中はかられ給ひて、「怪しきうたゝねをして若々しかりけるいぎたなさをさしも驚かし給はで」と御氣色とり給ふもをかしう見ゆ。殊なる御いらへもなければ、わづらはしくてそらねをしつゝ日高く大殿ごもりおきたり。今日は臨時客の事にまぎらはしてぞおもがくし給ふ。上達部みこ達など、例の殘りなく參り給へり。御遊ありて、引出物祿などになし。そこら集ひ給へるが我も劣らじともてなし給へる中にも、少しなづらひなるだに見え給はぬものかな。とりはなちてはいうそく多く物し給ふころなれど、御前にてはけおされ給ふわろしかし。何の數ならぬ下部どもなどだに、この院に參るには心づかひことなりけり。まして若やかなる上達部などは思ふ心など物し給ひて、すゞろに心げさうし給ひつゝ常の年よりも殊なり。花のか誘ふ夕風長閑に打ち吹きたるに、お前の梅やうやうひもときてあれは誰ときなるに、物のしらべどもおもしろくこのとのうち出でたる拍子いと華やかなり。おとゞも時々聲うち添へ給へるさきくさの末つかた、いと懷しうめでたく聞ゆ。何事もさしいらへし給ふ御光にはやされて、色ども香をもますけぢめことになむわかれける。かくのゝしる馬車の音をも物隔てゝ聞き給ふ御方々は、はちすの中の世界にまだ開けざらむ心地もかくやと心やましげなり。ましてひんがしの院に離れ給へる御方々は年月に添へてつれづれの數のみまされど、世のうきめ見えぬ山路に思ひなずらへて、つれなき人の御心をば何とかは見奉り咎めむ。その外の心もとなく寂しきことはたなければ、おこなひの方の人はそのまぎれなくつとめ、かなの萬の草紙の學問心に入れ給はむ人はまたその願ひに從ひ、物まめやかにはかばかしきおきてにも唯心の願ひに從ひにたる住ひなり。騷しき日ごろ過して渡り給へり。常陸の宮の御方は人のほどあれば心苦しくおぼして人目のかざりばかりはいとよくもてなし聞え給ふ。いにしへ盛と見えし御若髮も、年ごろに衰へゆき、まして瀧のよどみ恥しげなる御かたはらめなどをいとほしとおぼせば、まほにも向ひ給はず。柳はげにこそすさまじかりけれと見ゆるもきなし給へる人がらなるべし。光もなく黑きかいねりのさいざいしくはりたるひとかさね、さる織物の袿を着給へるいと寒げに心苦し。かさねの袿などはいかにしなしたるにかあらむ。御鼻の色ばかり、霞にもまぎるまじく花やかなるに御心にもあらず打ち歎かれ給ひて、殊更に御几帳引きつくろひ隔て給ふ。なかなか女はさしもおぼしたらず、今はかくあはれに長き御心のほどをおだしきものにうちとけ賴み聞え給へる御さまあはれなり。かゝる方にもおしなべての人ならずいとほしく悲しき人の御さまとおぼせば、あはれにわれだにこそはと御心とゞめ給へるもありがたきぞかし。御聲などもいと寒げに打ちわなゝきつゝ語らひ聞え給ふ。見煩ひ給ひて「御ぞどものこと後見聞ゆる人は侍るや。かく心やすき御住ひは唯いと打ち解けたるさまにふくみなえたるこそよけれ。うはべばかりつくろひたる御よそひはあいなくなむ」と聞え給へば、こちごちしくさすがに笑ひ給ひて、「醍醐の阿闍梨の君の御あつかひし侍るとて、きぬどもゝえ縫ひ侍らでなむ、かはぎぬをさへとられにし後寒く侍る」と聞え給ふはいと鼻赤き御せうとなりけり。心うつくしといひながらあまり打ち解け過ぎたりとおぼせど、此處にてはいとまめにきすく人にておはす。「かはぎぬはいとよし。山伏のみのしろごろもに讓り給ひてあえなむ。さてこのいたはりなき白妙の衣は、なゝへにもなどか重ね給はざらむ。さるべき折々は打ち忘れたらむことも驚し給へかし。もとよりをれをれしくたゆき心のをこたりに、まして方々のまぎらはしききほひにもおのづからなむ」とのたまひて、向ひの院のみくらあけさせて絹綾など奉らせ給ふ。荒れたる所もなけれど、住み給はぬ所のけはひはしづかにて御まへの木立ばかりぞいとおもしろく、紅梅の咲き出でたるにほひなど見はやす人もなきを、見わたし給ひて、

 「ふるさとの春の木末にたづねきて世のつねならぬ花を見るかな」。ひとりごち給へど聞き知り給はざりけむかし。空蟬のあま衣にもさしのぞき給へり。うけばりたるさまにはあらずかごやかにつぼね住みにしなして、佛ばかりに所えさせ奉りて行ひ勸めけるさまあはれに見えて、經佛のかざりはかなくしなしたるあかの具などもをかしげになまめかしく、猶心ばせありと見ゆる人のけはひなり。あをにびの几帳、心ばへをかしきにいたく居隱れて袖口ばかりぞ色異なるしも懷しければ、淚ぐみ給ひて松が浦島を遙に思ひてぞ止みぬべかりける。「昔より心憂かりける御契かな。さすがにかばかりのむつびはたゆまじかりけるよ」などのたまふ。尼君も物あはれなるけはひにて、「かゝる方に賴み聞えさするしもなむ淺くはあらず思ひ給へ知られ待りける」と聞ゆ。「常にをりをり重ねて心惑はし給へし世の報などを佛にかしこまり聞ゆるこそ苦しけれ、おぼし知るや、かくいとすなほにしもあらぬものをと、思ひあはせ給ふ事もあらじやはとなむ思ふ」とのたまふ。かのあさましかりし世のふることを聞き置き給へるなめりとはづかしく、「かゝる有樣を御覽じはてらるゝより外の報はいづこにか侍らむ」とて誠にうち位きぬ。いにしへよりも物深く恥しげさまさりて、かくもて離れたる如くおぼすしも見放ち難くおぼさるれどはかなき事をのたまひかくべくもあらず。大方の昔今の物語をし給ひて、かばかりのいふかひだにあれかしとあなたを見遣り給ふ。かやうにても御蔭に隱れたる人々多かり。皆さし覗き渡し給ひて「覺束なき日數積る折々あれど心の中は怠らずなむ。唯限ある道の別のみこそ後めたけれ、命ぞ知らぬ」などなつかしくのたまふ。いづれをも程々につけてあはれとおぼしたり。われはとおぼしあがりぬべき御身の程なれど。さしもことごとしくもてなし給はず、所につけ人の程につけつゝあまねく懷しくおはしませば、唯かばかりの御心にかゝりてなむ多くの人々年月を經ける。

今年は男踏歌あり、うちより朱雀院に參りて次にこの院にまゐる。道の程遠くて夜の明方になりにけり。月の曇りなくすみまさりて薄雪少し降れる庭のえならぬに、殿上人などもものゝ上手多かるころほひにて、笛の音もいとおもしろく吹き立てゝ、このおまへは殊に心づかひしたり。御方々物見に渡り給ふべくかねて御せうそこどもありければ、左右の對、渡殿などに御つぼねしつゝおはす。西の對の姬君は寢殿の南の御方に渡り給ひて、こなたの姬君に御たいめんありけり。上もひとゝころにおはしませば御几帳ばかり隔てゝ聞え合ふ。朱雀院、きさいの宮の御方などめぐりける程に夜もやうやう明け行けば、みづうまやにてことそがせ給ふべきを、例あることより外にさまことにこと加へていみじくもてはやさせ給ふ。影すさまじき曉月夜に雪はやうやう降り積む。松風木高く吹きおろし物すさまじくもありぬべき程に、靑色のなえばめるにしらがさねの色あひ何のかざりかは見ゆる。かざしの綿は匂もなきものなれど、所からにやおもしろく心ゆき命のぶるほどなり。殿の中將の君內の大殿のきんだちそこらにすぐれてめやすく華やかなり。ほのぼのと明け行くに雪やゝ散りてそゞろ寒きに、竹川謠ひてかよれるすがたなつかしき聲々の、繪にも書きとめ難からむこそ口惜しけれ。御方々いづれいづれも劣らぬ袖口どもこぼれ出でたるこちたさ、物の色あひなども曙の空に春の錦立ち出でにける霞のうちかと見渡さる。怪しく心ゆく見物にぞありける。さるはかうごしのよばなれたるさま、ことぶきのみだりがはしき、をこめきたることもことごとしくとりなしたる、なかなか何ばかりのおもしろかるべき拍子も聞えぬものを、例の綿かづき渡りてまかでぬ。夜明けはてぬれば御方々歸り渡り給ひぬ。おとゞの君少し大殿ごもりて日たかく起き給へり。「中將の聲は辨の少將にをさをさ劣らざめるは。怪しくいうそくどもおひ出づるころほひにこそあれ。いにしへの人は誠に賢き方やすぐれたる事も多かりけむ。なさけだつすぢはこの頃の人にえしもまさらざりけむかし。中將などをば、すくすくしきおほやけ人にしなしてむとなむ思ひ置きてし。自らのあざればみたるかたくなしさはもてはなれよと思ひしかど、猶したにはほのすきたるすぢの心をこそとゞむべかめれ。もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、うるさかめり」などいとうつくしとおぼしたり。ばんすらく御口ずさびにのたまひて、「人々のこなたにつどひ給へる序にいかでものゝ音試みてしがな、私のごえんあるべし」との給ひて、御琴どものうるはしき袋どもして、ひめ置かせ給へる、皆引き出でゝ押しのごひてゆるべるをとゝのへさせ給ひなどす。御かたがた心づかひいたくしつゝ心げさうを盡し給ふらむかし。